家出→× おとまり→○

 暴言を吐いて学校を謹慎になった。それで、反省文とか誓約書とかを書かないといけないんだけど、その誓約書の内容(http://twitter.com/fune/status/2164893350)があまりにもばかばかしく、しかもそれを書かないと謹慎が開けないとのことなので、家出をした。家出といっても家には連絡しているし、そこまで大袈裟なものではない。ただ数日風邪で学校を休むのと同じ程度のものだ。
 その家出(平和なものなのでただのお泊まりだ)は今3日目で、今日の午後10時前には帰るつもりだ。こんな風に家出をするなんてことはなかなかできない経験なので、起きたこととかを書いていこうと思う。


 それで、日曜日。月曜日には課題と書類をそろえて学校に持っていかなくちゃいけなかった。それを提出したら謹慎が解除されるらしい。日曜日は謹慎になってからの毎日(水曜日から)と同じようにゆっくり午前10時頃に起き、すこし課題をやった。課題をやっていたけど到底終わりそうもない量だったので諦めていた。
 夕方になってごはんを食べ、シャワーを浴び、夜になる。いいかげん本腰を入れて書類を書いたりしないといけないなと思った。親にも、早く書けといわれていた。反省文には親のコメントする欄があるからだ。しかし、上に書いたように、ぼくはあまりそれらを書く気がしなかった。反省文も、誓約書も、活動報告書も、すべて気持ち悪くて仕方がなかったからだ。
 これを書いている今は、活動報告書はちぎって自宅のベッドの上にばらまかれているし、誓約書のひな形も破って窓から紙吹雪にした。それらは一様に、ぼくに反省を促すようなことが書かれていて、誓約書には生徒である私は大変なことをして云々、活動報告書にはもうあまり覚えていないけど、150字程度の今日の反省、明日への抱負の欄があった。それが気持ち悪くて仕方がなかった。その紙の向こうににやにや笑った大人たちの下卑た顔が想像できるからだ。お前のような聞き分けのないガキはこれを書いて大人に従うんだ。それから、お前も大人になるんだっていっているような気がした。
 もちろんそれはぼくの想像が飛躍しすぎているだけかもしれない。
 きっとそうだ。だけど確かにそう思ったし、そういうもの(想像上の大人たち)たちの前に拝跪したくなかった。
 自分が悪いのなら反省文に真摯な文章を書いたはずだ。でも、謹慎になった原因も、(悪いものではあるけど、)そんな気持ちの悪い文章を書くほど悪いものだとは思えなかった。だから、ぼくはそのときあまり反省していなかった。
 その謹慎になった原因の事件は、自分のもっとも嫌うような先生に体を触られたからだ。そのときその先生は学校の外の横断歩道に立って、交通指導をしていた。車道側によっていたぼくを内側に入れようとして彼は手か持っていた旗でぼくの体を触った。その彼でなかったらぼくもそんなことはいわなかったと思うけど、「クソ野郎」と罵った。彼に触られた瞬間とても気持ち悪かったからだ。言葉が自然と口から出た。
 それで、生徒指導室に連れて行かれ、状況報告と反省文をA4の藁半紙に4枚半ほど書いた。ぎっちり。それはそれで楽しかった。頭から出てくる文章を鉛筆の先から紙に落とし込んでいくのはとても楽しい作業だ。そのあと、親が迎えにきて、帰った。次の日、普段よりも遅い時間に学校に行き、処分が通知された。それが謹慎3日だった。ちなみに、その通知が行われた場所は校長室だった。ぼくと、母親と、校長、教頭、生徒指導部長、学年主任、担任が揃っていた。通知自体は3分ほどで終わって、そんなクソつまらなくてどうでもいい用事なら(学校らしく)手紙か、(それとも、もっと簡潔に、)メールでいいのになと思った。そんな集まりはとてもくだらなく、必要なものは謹慎3日で、大勢の人間が集まることではないはずだ。
 合計で30分も学校にいなかっただろう。課題と書いてくる書類を渡されて帰った。
 特に何事もなく時間は過ぎ、謹慎の終わった(しかし解除はされていないらしい)土曜日。本来木曜日にあったあったはずの三者面談が自宅で行われた。担任をわざわざうちまで来させるのはとても申し訳なく思った。
 土曜日になったのでいいかげん課題をやり始めた。意外と量が多かった。それから、反省文と、誓約書と、活動報告書をじっくりと読んだ(もらったときは目を滑らす程度しか見なかった)。それで、もう学校には行きたくないなと思った。あんなクソなものを書かせる頭の足りない(どっちがだ)ところには行きたくないと思った。誓約書の文面なんて、謹慎停学が決定された全員に渡されるようなテンプレコピペのもので、実際にやっていないことまで書かされることになっていた(原則あれを書き写せとのことだ)。
 日曜日。課題をすこし消化しているうちによるになった。親からは当然早く活動報告書と誓約書を書けといわれた。ぼくは書く気がしなかった。反省はしていないし、誓約書の文面は到底承服できないようなものだったからだ。クソだなーって思ったので破り捨てて窓から紙吹雪にした。鞄に数日の着替えと、その他必要なものを詰めた。twitter上に「【急募】家出先」(http://twitter.com/fune/status/2165064161)とpostして、Skypeで家出先を斡旋してもらった。最後に、鞄にノートPCを入れ、LANケーブルをロープ代わりにして鞄を二階の部屋から外におろした。
 親にはすこしコンビニにいってくる、レン鯖のお金を払ってくるからといい5000円を借りた。鞄を回収し、自転車をこぐ。数人から電話がかかってきて(ぼくの携帯の番号はbioにあるので適当にかけてきてだいじょぶです)それから、家出先の小金井に向かった。途中、家にしばらく出かけるとメールと電話をした。心配しないように、捜索願を出さないようにと頼んだ。母親はヒステリックな声を上げていて怖かった。
 四時間ほど自転車をこいだ。自宅のあるさいたま市から、小金井まで。東北自動車道東京外環自動車道の隣の道をずっといき、大きな荒川も渡った。それから中央本線の線路を目指した。それに沿っていき、ようやく小金井に着いた頃、おまわりさんにあってしまい、補導(正確には指導らしい。こっちは記録に残らない)をされた。やり過ごし、家出先についた。ちなみに補導された地点はその家から数十メートルほどのことだった。とても残念。

見えにくいけど荒川
信号待ちをしているところ。こんな交差点がいくつもあった

 往路と小金井に着いてからいろいろなものを見た。
 当然だけど、一度も通ったことのない道がたくさんあってそれを歩いた。酔っぱらいのたまった蕎麦のまずい蕎麦屋はカレー牛丼がおいしくて、しかもその酔っぱらいが大声でくだらない話ではなくクラシック音楽をしているのだ。最高に面白い。あと、店主にホヤを一切れもらった。実物を見たのは初めてで、クセはあったけどとてもおいしかった。

カレー牛丼

 それから、怪しげなインド料理屋にもいった。このインド料理屋は他は普通ぐらいなんだけど、ランチタイムのカレーとナンの食べ放題が安くて(700円)おいしかった。店内の雰囲気も面白い。すこし前までは笛が400円で売っていたらしいんだけど、残念ながら売り切れていた。売っていたら多分買っていたと思う。




 それから、ジブリの本社だったり、ガイナックスの本社だったり、痛車(これはめずらしくもない)だったりも見た。ジブリの本社は建物に蔦が絡まっていて面白く(ときどき猫がたくさんいるらしいけど、ぼくがいったときはいなかった。残念)、ガイナックスの本社はプレハブでこれはこれですげーってなった。しかもそのふたつの距離も50メートルほどしかなくてそれもすごいと思った。
 家出先に住んでいるぼくと同い年のプログラマにもあった(家主は大学院生の人)。面白いはなしや、彼の書いているきもいRubyの話を聞けたりした。大変愉快だった。特にtrueとfalseを求めるのに!0と!1を使うこと(コードが2、3バイト違うと実行が0.000001秒違うらしい)、のあたりは本当に気持ち悪い(褒め言葉)プログラマだと思った。ぼくみたいな三流コーダとは違ってとてもすばらしい。ぼくもそういうようになりたいと思った。
 あと、9月に開催されるflashのイベントにも参加させられることが決まった。家主の彼が主催側で、半強制的に参加させられたのだ。Adobe Flash CS4の使用期限が切れる30日の間に作らないといけない。しかも、ぼくは今小説を書いていて忙しい(おそらく七月のはじめくらいまでかかる)というのに、もう、どうしていいのかわからない。


 小金井に来てからはこんな感じで大変面白いことがあった。とても面白いことだったんだけど、もう頭の中でどろどろにとけてしまい、あまりうまく書けない。


 今これを書いているときにもう一人きた。これからまた楽しいことをする。


 でも、ぼくのしている数日間の家出は傍から見ればただの現実逃避で当然受け入れられるものではないだろう。
 だから、ぼくはこれから家に帰ってその後始末をしないといけない(後始末といえば、今日は電車で帰るのであとで自転車をとりきてまた4時間こがないといけない)。


 ところで、ぼくは将来小説を書いてお金をもらいたいと思っている。
 だからという訳ではないけど、あそこで嘘つきの反省文や誓約書を書いていたら、ぼくは徐々に小説(だけじゃなく、その他の創作すべて、ぼくの作りたいようなものに関して)を書くための精神的な弾力を失い、たおれてしまうだろう。だから、これでよかったんだと思う。
 本当に、誰にも認められないとは思うけど、自分の頭の中では必要な経験だったはずだ。


 とても楽しい数日を過ごせました。ありがとうございました。


 というのを、昨日の午後5時くらいまでに書いていた。この行の文章は次の日の2時頃に書いている。
 これを書いているときにきた彼と、家主の人とでごはんを食べながらいろいろな話をした。その中で、運が良ければ来年からとても面白いことが始められそうな話が出た。
 勉強することが増えたけど、とても楽しみです。


 あ、あと、連れて行ってもらったごはん屋さんはどこも量が多くて大変でしたがとてもおいしかったです。特にインド料理屋は雰囲気も面白かったのでまた行きたいです。