日記

 昨日の16時頃起きました。ねむったのはその日の7時過ぎでした。起きてからなんとなくインターネットをしたり、本を読んだりして過ごしました。日付が変わる頃に合同誌の作業を始めました。いいかげん覚えようと思っていたIllsutratorを使ってみることにしました。オブジェクトの選択に戸惑いますが、作っているものはシンプルだったのであまり困ることはありませんでした。夜と朝の間の時間になると、ぼくは窓辺に向かいます。換気のために半分だけ開けた窓の(冬の冷気がたえず、そぞろに注ぎます)網戸を開け、空を見るのです。( http://twitpic.com/qo682 )夜と朝の間の、ごく短い時間、空はとても素敵な色をあらわします。凡庸で浅はかなぼくは携帯電話を構え、小さな矩形に空をおさめようとします。そして、いつも失敗して、じっと空を見ていればよかったと思うのです。家をでる直前まで作業を続け、お気に入りの防寒具を身につけ家を飛び出し、電車に乗ります。( http://twitpic.com/qoos6 )気分は睡眠不足と学校へ行くことで落ち込んでいますが、くまの手のような手袋もどきのおかげで少しだけ楽になります。生活にお気に入りのものがふえていく感覚は気持ちがいいです。学校へ行き、名古屋のお土産を配りました(木曜日と金曜日、学校をさぼって名古屋へ行きました。あの教室でぼくひとりだけが5連休だったのです)。学校は何事もなく終わり、家に帰り、今こうしてこれを書いています。
 ただ、それだけのことです。

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 昨日は16時に起き、朝まで机に座り続けた。電車に乗り、学校へ行き、電車に乗り、帰ってきた。そして今これを書いている。

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 とても夢を見ているような心地です。ゆっくりと走る電車の窓から市の境を流れる川がみえます。綿雲の浮く向こうに、彩度の低い暁光がみえます。破滅的な気分を鼓舞する光りでした。遥かの雲を貫通し、ぼくを射抜く暁光は幸福な振動を孕み、姿をのぞかす雲間からは滅びの風が吹いていました。

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 憂鬱の最中にあるからだの胴体と、そこからつながる腕と脚には倦怠が涵養に棲みつき、動くこともかなわなくなっていました。ゴム張りの床の上に放り出された革靴の大きくない足を見ながら葦のように棒立ちし、弱々しいぼくはようやく顔を上げ滅びの風を吹かせる暁光を見るのです。古典的な憂鬱をいだく彼彼女らと同様、終末の光と風に鼓舞され、またつま先をじっと見ました。