夏コミの原稿が佳境だ。今日か明日で書き終わるだろう。入稿は22日なので、推敲にあてられる時間はあまり多くない。あまり多くないものをあまり減らさないよう、早く書き上げて次の作業に移らないと行けない。
 それで、昨日は午前5時近くまで作業をしていた。こうやって書くと、すごい頑張ってやっているように読めるけれど、大抵はインターネットをして遊んでいた。作業が終わった後も少しインターネットをして寝た。
 いつものように7時20分頃に起き、着替えと朝ご飯を10分で済ませて家を出た。学校に行く電車に乗っているとストレスでお腹が痛くなる。自分はあまり、学校に行きたがる性格の人間ではないからだ。だけど、今日はそれが特別強くて、電車に乗っているときにも本を読まないでだらだらとiPhoneを弄っていた。気力のある日は本を読むのだけど、そうでない日はだらだらとインターネットをする。本を読んで、内容を噛み砕いて脳の栄養にするのは、インターネットをするよりもコストのかかることだからだ。
 最寄りの岩槻駅から、乗り換えの春日部へ、それから、学校のある越谷へ、電車で運ばれていく。春日部と越谷の間にある千間台(字あってるっけ)という駅を過ぎると、電車は地面から高架へと高さを変えて進む。別になんでもないことなんだけど、だんだんと景色が登っていく景色が好きで、ときどきじっくりと見る。じっくりと見ようとするのだけど、電車はぼくの意思を慮ることもなく進んでいくから、大抵まだ見たいものがあるうちにそこを過ぎてしまう。
 そんな風にして、風景とインターネットをのぞきながら、適当なことを考えていた。植物のこと、魚のこと、羊のこと、石のこと、アンモナイトのこと、水のこと、羊のこと、山羊のこと、とか。
 電車は越谷駅に着く。駐輪場にとめてある、後輪のパンクした自転車の鍵を傘の金具(押して傘を開くところのやつ)を使って開けた(スペアの鍵は全部なくした)。そうやって簡単に開く鍵の自転車は防犯性に劣るけど、自分が鍵をなくすことをあらかじめわかっているのなら、それと引き換えにそういう自転車を選ぶのもいいと思う。学校の人にも話したことがあるけれど、彼は(彼女だっけ。覚えてない)同意してくれなかった。
 学校につき、鞄に入っている読みかけの本を読んだ。チャイムが鳴って、ショートホームルームがあって、今日はテスト返しの日で短縮授業の日なので、掃除は朝にあった。
 学校についてからも、掃除をしている最中にも、羊や山羊、石や魚、木の根や幹、それらを体から生やした少女のことを考えていた。そういうことを考えていたから、歩きかたはぼさっとしているし、無口だし、変な目をしていたと思う。他の人にもそう見えていたらしく、「赤羽(ぼく)だいじょぶか」とクラスメイトにいわれたりもした。
 精神が不在の気分だったからそういう状態なのだけど、説明するのも難しいから「だいじょぶだよ」とだけ返した。
 ところで、脳が接続したり、精神が飛翔する感覚というのがある。
 脳には巨大な意識のプールがあって、そこに接続しているのがこれを書いている(キーボードを打っている)自分で、同じくそのプールに接続している文章を考えている自分がいる。何かを書くときにはそのプールを経由し、向こう側の彼の言葉を受け取ってエディタに落とし込んでいる。そんな感覚がある。だけど、プールを経由して、これを書いている自分に彼の言葉が伝わってきたときには、その言葉にはノイズが混じってしまっているし、ただのタイピストであるぼくが勝手に文章を改竄しようとする。改竄の理由は、自尊心だったり、そっちの文章のほうがいいんじゃないかって思ったりすることだ。そんな風にしてかわってしまった文章は悲惨で、気づいたら読むに耐えないものが出来上がっている。接続というのは、ただそのプールに接続することではなく、プールを経由せずに向こう側の彼に直接接続しているときのことをいう。そういうときには、ノイズの少ない、いい文章を書ける(あとで見返したらなんだこれって思うんだけど)。
 これが接続で、飛翔という感覚もある。飛翔は、自分の思考が深い谷底に落ち込み、なおかつ鋭く研ぎすまされ、しかも同時に体を置き去りにして思考と精神だけが体をやぶって谷底から空へ飛翔する感覚をいう。
 そんなことを、朝から学校にいる間中繰り返していた。体に精神が不在で、ぼんやりした状態だった。目が見ているものは学校の風景なのに、脳が見ているものは光の瞬きや、羊の毛のことや、水のことばかりで、どうにも夢を見ているような状態だった。
 3時間のテスト返しを終えて、いつものようにさっさと家に帰る。
 音楽を聴きながら帰ろうと思ったのだけど、風で木の葉っぱがさざめく音が気になったのでやめた。
 校門を出て、やっと大嫌いな学校から解放される。信号をわたって、田んぼのある道に出ると、蝉が鳴いていた。先週の金曜日にも泣いていた気がするけど、また夏なんだな、と思った。頭の中にはまだ4月とかの少し冷たい空気が残っていて意外だった。
 なんとなく砂利道が気になったので、曲がるはずの道を曲がらないで、その道へ入っていった。砂利とパンクした自転車のせいで、たいそう揺れた。それから、転びそうになった。どうにかその道を通り過ぎ、国道へ出た。そこでは、車が走り、向かいにはディスカウントストアから出てきた客が同じように信号を待っていた。ぼくも、信号を待った。その隣では、ラジオが音楽を鳴らしていた。ラジオは、ぼろい、個人経営のいいかげんなリサイクルショップのものだった。鈍い信号がかわり、ようやくまた走り出した。
 そのディスカウントストアへは、部活をしていたとき何度かいったことがあるから、当然砂利道もとったことがあるのだけど、そこから先の道は知らない道だった。
 強い日差しがアスファルトを白くしていた。小学校の隣を通ると、体育の授業中の児童たちの声が聞こえた。青果店の隣を通ると、夏の蒸気を含んだ空気に果物のにおいがとけ込んだ、青果店独特のにおいが鼻に侵入してきた。そのにおいは嫌いではなかった。自転車で走りすぎると。すぐににおいはなくなり、夏の強くて白い日差しが殺していった、空気のにおいがするばかりになった。
 その通りをずっと行くと、川にたどり着いた。昔名前を聞いたことがあるし、僕の住んでいるところの近くにも流れている川なんだけど、名前を思いだせなかった。川辺には楠と、ケヤキと、楓が生えていた。どうでもいいけど、楠ってきくとトトロを思い出す。靴の木。木靴のなる木があったらおもしろい。
 光が緑色の川の漣と、分厚く濃い緑をした葉の上で反射して、白く見せていた。
 その道も通り過ぎると、伊勢崎線の高架にあたった。帰るために越谷駅のほうを目指して走った。
 知らない道を行くのはとても楽しいことだった。ぼくは自分ルールを作るのが人よりも少し得意で、社会のルールを破るのはなんてこともなくするのだけど、自分の決めたルールを破るのはとても苦手な人だった。横断歩道の右側に立つとか左側に立つとかも決めていて、その決まりをやぶると不安になる。不安になるけれど、毎日毎日いつもと違うことをすると楽しいことも知っていた。だから、あの砂利道を通って帰ろうと思った。
 電車に乗り、ようやくイヤホンを耳にさした。越谷駅からせんげん台(やっぱり千間台の千間はひらがなだった気がする)へいく途中、急に電車のシートに横になりたくなった。乗っていた区間急行の乗車率は100%と行かないまでも、シートが7割以上うまる状態で、横になることはできなかった。
 せんげん台で各駅停車に乗り換え、そうしたら横になってみようと思った。自分が電車のシートに横になることを想像すると、楽しかった。
 乗り換えたさきの電車にはすでに何人かの乗客がいた。すごく残念だと思った。寝てみるのなら、誰もいない車両がいいと思っていたからだ。仕方なくシートに座った。降りたばかりの区間急行の電車は走り出して、少しあとに乗り換えた電車も走り出した。走り出したときの反作用で、体が少し傾いた。傾いたから、その勢いでそのままシートに倒れ込んだ。よく弾むシートの車両で。左肩が一度バウンドした。
 ああ、自分は電車のシートで寝ているんだなと意識した。たぶん、他の乗客には変な風に思われているのだろうな、とも想像した。だけど、ぼくはあまり人からの悪い評価を気にしないので、寝続けることにした。
 横になっていると。車内と窓の外の景色が違う角度で見えた。なんか、ゲームとかにある上下や左右がぐちゃぐちゃステージみたいだったなと書いている今思った。
 外の景色は、角度だけじゃなく、速度や光の強さもかわってみてた気がした。速度はゆっくりに、光はいつもより強くに感じられた。それから、電線が車内の蛍光灯と平行に流れていることに気づく。そういう何もかもが新しいものに感じられて、そういう感情を抱けるのはとても幸せで、これはブログのネタになるななんてくだらないことを思った。今すぐ書きたいと思ったけど、ノートPCを持っていなかったのでできなかった。もどかしい気持ちのまま、家に帰ることになった。

 だけど、家に帰るまでにもおもしろいものやきれいな景色がおおくて、家の鍵を開けた頃には半分忘れていた。
 自分は飽きっぽいから、そんなもんなんだろうな、と思った。


 というのが、今日の日記です。ありがとうございました。


 おまけ。今日撮った写真。すべてiPhoneで撮った。構図とか何も気にしないで撮るの楽しい。
 あとでまとめて写真とかアップロードしたいな。