やったねたえちゃん

 前回のエントリが100ブクマもついたので調子に乗って書いた。


 大体のRPGでは経験値を貯めると突然レベルが上がります。たとえば、経験値を3000貯めるとレベルアップするとします。レベルアップをすれば、HPやちから、すばやさ、運やらがあがります。経験値が2900のときと、3000貯めてレベルアップしたあとではそのキャラクターの能力はまったく違います。
 現実の世界でもそんなことがあります。
 今日は友達と一緒に日をまたいだ頃にコンビニに行き、ジュースとアイスとゼリーとじゃがりこのピザ味を買って、友達の家で食べました。冷房の効いた部屋で寒い思いをしながらそれらを食べました。おいしかったです。それから、寝て、起きて、自分の家に戻り、ごはんを食べ、学校へ行きました。今日の授業は1-3時間目までが実習でphpを書いていました。「おいクソがDBからデータ引っ張ってこれねぇぞ」とかいってたら指定してるDBが存在しなかったり、つながったときには、「やったーつながったよーデータ出てきたよーやったねたえちゃん☆」とかいってました。いってる内容といい口調といい、なかなか頭の悪い感じでした。4時間目は数学で、5、6時間目はプログラミングの授業でした。言語はjavaで、
http://zenjouken.com/contest/index.html
 こんなものを作らされていました。
 ぼくは、先週のこの時間は家出の真っ最中で授業を受けていなかったのであとでプリントをもらって、「ふーん」と流し読みをして頭の中で適当に設計を作っていました。で、当日(今日)、実際にコードを書き始めました。
 RPGで経験値を貯めてレベルアップをするのと同様に、コードを書き続けているとときどき天啓のようなものが突然頭に飛来します。プログラマの方ならわかると思います。そうでない人は、そういうものだと思ってください。とにかく、シャーマンに何かが突然憑くみたいに、ある考えが頭に風を切るツバメのように飛来し、閃光のように脳の中を走っていくのです。


 今日は、人間は皆死ぬということがわかりました。


 このCHaserというよくわからないゲームは、プレイヤーがふたりいて、基本的にそのふたりがブロックをぶつけて殺し合いをするゲームです。殺し合いをするのですが、ときどきブロックに自らぶつかりにいき自滅をします。時間切れになって判定に持ち込まれることもあります。それで、とにかくこのCHaserというゲームは片方のプレイヤーがもう片方を殺すゲームです。ゲームは自動で進められ、実行された瞬間ぼくの手を離れます。勝ったらすこしうれしがりますし、負けても何も思いません。誰かが勝って、ひとりのプレイヤーが残されます。勝者の彼も、ウィンドウを閉じられた瞬間(新しいゲームを開始するのにいちいち終了させないといけないクソのようなシステムのゲームだ)、メモリの中でゴミクズに成り果てます。試合の勝者は一瞬の栄光を勝ち得、藻屑となっていくのです。それと同様に、人間も死にます。
 ぼくは神様というものを信じています。神様じゃなくてもいいです、とにかく世界には巨大なシステムがあって、そのもとに生きる人間がその存在を関知するかしないかはおいておいて、敷かれたレールの上を走っていくのです。全自動で。
 プレイヤーを作る人はぼくです。ぼくは彼が万全に闘えるようにコードを書きます。実行すると、彼はぼくの手を離れ、プログラムされた通りに動いていきます。自分が死ぬか、相手が死ぬか、時間切れになるまで闘い続けます。彼は自分の足下と周囲の8マスか、前方9マスしか視界(行動のあとに自分の足下と周囲8マスか、1ターンを使い任意の方向の前方9マスの情報を得ることができます)がありません。ほとんど、何も見えない状態です。暗闇の中でどこにブロックが配置されているか、相手がいるのかわからない状態のまま闘い続けます。相手を見つけたら、見逃さないよう(ぼくの書いたものの場合は)周囲のマップを作り敵を追いつめていきます。でも、もしかしたら視界の外からいきなりブロックを投げられ潰されてしまうかもしれません。そんな風にして殺し合いをします。
 その戦いのあと、彼らはゴミクズと成り果てます。メモリの中で、どこからも参照されない孤独なデータになります。そのうち、誰かがその場所(アドレス)を奪って、また誰かの耳目(参照)を集めることでしょう。彼ら(を構成するオブジェクトたちは)どんなプロセスからも忘れ去られ、覚えているのは彼を作ったぼくだけになります。ぼくも、あと数ヶ月もしたら自分の書いたコードのことなんて忘れてしまいます。
 人間もそうですね。生きている間どんな栄光を勝ち取ったとしても、獣同然の生活をしていても、何をしていたとしても、その全員が死にます。死んで忘れられます。もしかしたら、いくらかの間その人を覚えておいてくれる人がいるかもしれません。偉い人だったら、その人と立ち代わりに誰かがそのポストに収まるでしょう。そういう役職とかだけじゃなく、友人たちのごく狭い関係でも誰かがかわりにその場所に収まるでしょう。もしかしたら、空席は空席のまま残されるかもしれません、その空席は空席であることが常態になるので、気にされることはなくなります。
 こんな風にして人は死に、その場所を誰かが補うか、元からなかったものになっていきます。どんな人もいつか死にます。そのうち人類も滅びます。滅びたあとも、ある人の名前や生前行ったことは石碑かなにかにして残されるかもしれません。太陽はその碑を照らすでしょう。しかしその光は、何者にも解釈されない、意味を持たない光です。太陽は無表情に彼らを照らし、解釈をまったく与えません。しかし、宇宙人がいるかもしれません。彼らは地球の言葉を解析し、理解し、その石碑に刻まれた文字の意味をその頭と記録に残すかもしれません。その宇宙人もそのうち死ぬし、絶滅します。さらに未来には宇宙は熱平衡し、とても静かな、何者の解釈もないとても無慈悲な空間になり、停止します。収縮するっていう意見もあるそうですが、ぼくはよくわかりません。でもとにかくみんな死にます。地球の言葉を解析し、業績を上げ、たたえられた宇宙人も死にます。


 そんな感じで人間は死んでいきます。


 ぼくはこれを書きながら考えています。最初に何も考えてなかったので次になにを書くかも決まっていません。巨大なシステムの上では決まっているかもしれませんが、ぼくはそれを知りません。そして、自分の意思でなく書かれたプログラムの彼は、実行されている数十秒の間、何を考えるのでしょう。
 プログラムは何も考えないかもしれません。ぼくはわかりません。地面に生えるタンポポナズナ、スギナ、あじさいの葉や花や茎、根が何を考えているのか考えていないのかはぼくにはわかりません。でも、考えているものとするのなら、何を考えているのでしょう。植物は自分よりも大きな動物の足に踏まれてしまいますし、風雨にさらされ死ぬこともあります。それは自分よりも大きなもので、到底対抗できるものではありません。たえちゃん(
google:やったねたえちゃん
 ググったほうが詳しいストーリーはわかりますし、zipも落ちてますが、簡単にいうと孤児であるたえ子が卑小な叔父に引き取られぐちゃぐちゃに犯されるエロ漫画
)が小さな彼女にとって絶対的な力を持つ(しかも保護者である)叔父に犯されるように、彼らは自分ではとても対抗できないものに犯されていきます。人間も、本当にそういうものがあるかはわかりませんが巨大なシステムに犯されてみんな死んでいきます。とても残念なことです。生前持っていた何物も失って一体の白骨に成り下がるのです。骨は何かを示すことがありますが、自身で何かを考えることはもうありません。死んでしまえば、その人の持っていた記憶と思考の一切が失われてしまいます。
 どうせ失われるものなら、最初から持っていても仕方ないかもしれません。
 しかし、ぼくらの今住んでいる世界は確かに無慈悲ですが、太陽は地球からの距離と大気の組成がちょうど良く(地球温暖化っていわれてるけどよくわからない)、すごしやすいです(twitterであづいあづいとほぼ毎日のようにいっているけど)。ぼくはその上で生きています。ときどき、自分では対抗できない大きなものに押しつぶされてしまいそうにもなりますが、しかし、なんとか生きています。それはたえちゃんがおかれている(た?)境遇よりもずっと生温いものでしょうが、小さな子供であるぼくには十分過酷で、思考の一切を放棄してしまいたくなることもあります。
 しかし、その思考をなくしてしまってはいけません。それは生きているぼくを白骨の頭蓋骨と分つものです。思考をする何者もが自身であるために必要なものなのです。
 それを保ち、何者もふれることのできない高みに押し上げないといけません。押し上げた先のその場所は誰もいない、とても孤独な場所かもしれない。そこへ行く途中の道で、どんどん目にする人は少なくなるかもしれない。自分の進む道は本当にこれでいいのかと悩むかもしれません。しかし、その道の先を目指さないといけない。自分を遥かな高みに押し上げるために。思考をするものとして絶対必要なものです。
 その行為には思考を何者からとも分つ気高さと偏見が必要です。次第に少なくなる他者と決別をし、誰もいない孤独な場所へ行きます。
 それをしたから何になれるという訳ではありません。だけど、脅迫的にそうしなければならないとぼくは思っています。頭上をおおう巨大なシステムに対抗するには、気高い思考を飛翔させ、巨大な彼を突き破り空を目指さなければいけないのです。そこにたどり着いたとき、自分で作り上げた孤独に押しつぶされそうになっても。


 そうしてある高みにたどり着いた人でも、最終的にはたえちゃんのように、(想像上の)卑小な男にズタボロに犯され死んでいくでしょう。しかし、気高いことを目指す作業が大切なのです。




 あとがき
 訳わかんねぇ。