近況

 いつものように子供と大人のことを考える。
 生活と記憶と経験の堆積のことに考える。それから、からだのことに興味をもった。
 編集と恣意性のことについて考えるけど先に考えている人がいるだろうから何かいい本を探したい。
 本を買いたいけれどお金がない。困った。
 タスクがたまりすぎていて追い込まれる。追い込まれるので楽しい。踏切板に勢いよく乗るのと同じ感覚。


 というような感じです。


 文化祭が一週間後に迫っていた。中間考査などが重なっていたので今日から作業を始めたけれどなかなか難しそうですね。これから一週間は学校にいる時間が長くなりそうで、憂鬱だけどやっぱり少し楽しそう。たくさんの作業に忙殺され、余計なことを考えることなく作業に没頭できるというのは幸せです。
 子供のことについて考える。子供とは何かと考えたときに、ひとり遊びを満足にできる、孤独を感じない人間が子供だとおもった。でも、まだ不完全なのでまだ突き詰めないといけない。昔の記憶が簡単に呼び出せたらよいなと思うのだけど、うまくいかない。自分が今よりももっと小さいときは、頭の中は空っぽで何も記憶にとどめなかった。それだけ自分は大人になったのかもしれない。そう思うといやな気分になる。何も考えずに行動をしたい。
 そういえば、今体育の授業でバドミントンをしているのだけど、シャトルの動きを追って、からだが意識することなく反応するというのは気持ちがよいものだとおもう。それから、今日の朝自転車に乗りながら遅刻しそうだなと思って時計を見た。時計を見た瞬間に頭の中で言葉にして考える前に(何かを考えるときにはだいたい言葉にして考えてしまう。最近はイメージで考えることも少しだけできるようになったけど。他の人が何かを考えるときどうやって考えるのか知りたいです)時計の表示する時刻を見て遅刻するかしないかを判断できた。そのあとにわざわざ、今は何分だから、学校まで何分かかるとして、信号に引っかかったら最大で2分くらいかかるから……とか、意味のない、すでに行われた推測をした。そんな風にして、わざわざわかっていることを言葉にするのは自分の思考に安心を求めているからだからだろうか。
 1、2時間目は化学の授業で、中間考査の答案返却と肝臓についてのDVDを見た。肝臓すげーなーって思うのと、冒頭で谷川俊太郎の詩が流れていたのだけど、その詩が印象的だったなーって思いました。「けだものにつながる」って一節のある詩です。名前がわかる方は教えてくれると嬉しいです。
 詩人がどうやって詩を書いているのか、ときどき不思議に思う。小説を書いているときに、多分こんな感じで書いているのだなぁ、と思うときはあるのだけど、詩人の書く文章はそれを何倍にも濃くしたような感じで、推測はできるのだけど信じられないと思う。自分が書いているときの感覚は、平行する世界間を時間なしに瞬時に跳躍するような感覚で、目の前に真白な膨大な光が見え脳が振り切れるようなものがあります。わかりにくいですね。とりあえず、遠く隔たったものの二点を繋ぐような効果が詩とか、比喩表現にはあると思います。
 自己を何々に仮託するっていうことについてときどき考える。
 文章を書くときにテキスト的に書くのか、バイナリ的に書くのかっていうことについて最近思う。詩はたぶん、すごくバイナリ的な文章の形だと思う。
 自分はあまり技巧に依存した文章を書きたくないので体言止めや倒置は使わないようにしているのだけど、比喩は結構使っている。本当はあまり使いたくないのだけど、それにかわるものがないから使わざるを得ない。遠く隔たった二点を繋ぐものが、比喩以外にあればよいのだけど。
 文章の書きかた(テーマの表現の仕方)について思うときがある。書きたいものをそのまま紙にぶつけるのか、表したいものの姿を描いてゆくのか、浮き彫りみたいにテーマの周辺を描写していくのかの三つがあるような気がする。


 なんか適当なことを書き連ねたけど面倒になったので終わりにします。おわり。


 そういえば、先月あたりににまさんとにょんこさん主催のカラオケオフにいった。そのときにまさんのノートに何か書いて、その話を合同誌のネタにしたいなーって思ったのだけど、どんなことを書いたのか今となっては思い出せない。ノートの写真は撮ったのだけど荒くて解読できなかった。