上書きされない

実行環境
 OS : MacOSX 10.5.7
 ruby : 1.8.6

class Hoge
	attr_reader :foo
	
	def initialize
		@foo = fuga
		@foo = fugafuga
	end

	def fuga
		puts 'bar'
	end

	def fugafuga
		puts 'buz'
	end
end

Hoge.new.foo

実行結果
bar
buz

なんでだろう

追記
 @rosylillyに教えてもらって(http://twitter.com/rosylilly/statuses/2491376124)解決しました。

hoge = Hoge.new
hoge.foo
p hoge.foo

で確認すると、

bar
baz
nil

になりました。ありがとうございます。

idが被る

実行環境
 OS : MacOSX 10.5.7
 ruby : 1.8.6

objs = []
strs = []

100000.times do |i|
	objs << Object.new.object_id.to_s
	strs << String.new.object_id.to_s
	print objs[i], " ", strs[i], " ",  i, "\r\n"
end

print objs.uniq.size, " ", strs.uniq.size, "\r\n"

実行結果

83590 83570 0
83490 83470 1
83390 83370 2
83290 83270 3
83190 83170 4
(中略)
19040 19020 1588
18900 18860 1589
18740 18710 1590
18510 18480 1591
298740 298720 1592
298640 298620 1593
298540 298520 1594
298440 298420 1595
(中略)
11825380 11825360 99995
11825280 11825260 99996
11825180 11825160 99997
11825080 11825060 99998
11824980 11824960 99999
80635 74379

 という風になった。
 10万個のObjectとStringのインスタンスを作って、オブジェクトのidを配列にいれ、表示させました。一番最後の行で配列中の重複を削除しています。
 たくさんのオブジェクトを作るとidが被るみたいです。
 ちなみに、何回実行しても最後の数は同じになりました。


 対策が思いつかないので誰か教えてください。

やったねたえちゃん

 前回のエントリが100ブクマもついたので調子に乗って書いた。


 大体のRPGでは経験値を貯めると突然レベルが上がります。たとえば、経験値を3000貯めるとレベルアップするとします。レベルアップをすれば、HPやちから、すばやさ、運やらがあがります。経験値が2900のときと、3000貯めてレベルアップしたあとではそのキャラクターの能力はまったく違います。
 現実の世界でもそんなことがあります。
 今日は友達と一緒に日をまたいだ頃にコンビニに行き、ジュースとアイスとゼリーとじゃがりこのピザ味を買って、友達の家で食べました。冷房の効いた部屋で寒い思いをしながらそれらを食べました。おいしかったです。それから、寝て、起きて、自分の家に戻り、ごはんを食べ、学校へ行きました。今日の授業は1-3時間目までが実習でphpを書いていました。「おいクソがDBからデータ引っ張ってこれねぇぞ」とかいってたら指定してるDBが存在しなかったり、つながったときには、「やったーつながったよーデータ出てきたよーやったねたえちゃん☆」とかいってました。いってる内容といい口調といい、なかなか頭の悪い感じでした。4時間目は数学で、5、6時間目はプログラミングの授業でした。言語はjavaで、
http://zenjouken.com/contest/index.html
 こんなものを作らされていました。
 ぼくは、先週のこの時間は家出の真っ最中で授業を受けていなかったのであとでプリントをもらって、「ふーん」と流し読みをして頭の中で適当に設計を作っていました。で、当日(今日)、実際にコードを書き始めました。
 RPGで経験値を貯めてレベルアップをするのと同様に、コードを書き続けているとときどき天啓のようなものが突然頭に飛来します。プログラマの方ならわかると思います。そうでない人は、そういうものだと思ってください。とにかく、シャーマンに何かが突然憑くみたいに、ある考えが頭に風を切るツバメのように飛来し、閃光のように脳の中を走っていくのです。


 今日は、人間は皆死ぬということがわかりました。


 このCHaserというよくわからないゲームは、プレイヤーがふたりいて、基本的にそのふたりがブロックをぶつけて殺し合いをするゲームです。殺し合いをするのですが、ときどきブロックに自らぶつかりにいき自滅をします。時間切れになって判定に持ち込まれることもあります。それで、とにかくこのCHaserというゲームは片方のプレイヤーがもう片方を殺すゲームです。ゲームは自動で進められ、実行された瞬間ぼくの手を離れます。勝ったらすこしうれしがりますし、負けても何も思いません。誰かが勝って、ひとりのプレイヤーが残されます。勝者の彼も、ウィンドウを閉じられた瞬間(新しいゲームを開始するのにいちいち終了させないといけないクソのようなシステムのゲームだ)、メモリの中でゴミクズに成り果てます。試合の勝者は一瞬の栄光を勝ち得、藻屑となっていくのです。それと同様に、人間も死にます。
 ぼくは神様というものを信じています。神様じゃなくてもいいです、とにかく世界には巨大なシステムがあって、そのもとに生きる人間がその存在を関知するかしないかはおいておいて、敷かれたレールの上を走っていくのです。全自動で。
 プレイヤーを作る人はぼくです。ぼくは彼が万全に闘えるようにコードを書きます。実行すると、彼はぼくの手を離れ、プログラムされた通りに動いていきます。自分が死ぬか、相手が死ぬか、時間切れになるまで闘い続けます。彼は自分の足下と周囲の8マスか、前方9マスしか視界(行動のあとに自分の足下と周囲8マスか、1ターンを使い任意の方向の前方9マスの情報を得ることができます)がありません。ほとんど、何も見えない状態です。暗闇の中でどこにブロックが配置されているか、相手がいるのかわからない状態のまま闘い続けます。相手を見つけたら、見逃さないよう(ぼくの書いたものの場合は)周囲のマップを作り敵を追いつめていきます。でも、もしかしたら視界の外からいきなりブロックを投げられ潰されてしまうかもしれません。そんな風にして殺し合いをします。
 その戦いのあと、彼らはゴミクズと成り果てます。メモリの中で、どこからも参照されない孤独なデータになります。そのうち、誰かがその場所(アドレス)を奪って、また誰かの耳目(参照)を集めることでしょう。彼ら(を構成するオブジェクトたちは)どんなプロセスからも忘れ去られ、覚えているのは彼を作ったぼくだけになります。ぼくも、あと数ヶ月もしたら自分の書いたコードのことなんて忘れてしまいます。
 人間もそうですね。生きている間どんな栄光を勝ち取ったとしても、獣同然の生活をしていても、何をしていたとしても、その全員が死にます。死んで忘れられます。もしかしたら、いくらかの間その人を覚えておいてくれる人がいるかもしれません。偉い人だったら、その人と立ち代わりに誰かがそのポストに収まるでしょう。そういう役職とかだけじゃなく、友人たちのごく狭い関係でも誰かがかわりにその場所に収まるでしょう。もしかしたら、空席は空席のまま残されるかもしれません、その空席は空席であることが常態になるので、気にされることはなくなります。
 こんな風にして人は死に、その場所を誰かが補うか、元からなかったものになっていきます。どんな人もいつか死にます。そのうち人類も滅びます。滅びたあとも、ある人の名前や生前行ったことは石碑かなにかにして残されるかもしれません。太陽はその碑を照らすでしょう。しかしその光は、何者にも解釈されない、意味を持たない光です。太陽は無表情に彼らを照らし、解釈をまったく与えません。しかし、宇宙人がいるかもしれません。彼らは地球の言葉を解析し、理解し、その石碑に刻まれた文字の意味をその頭と記録に残すかもしれません。その宇宙人もそのうち死ぬし、絶滅します。さらに未来には宇宙は熱平衡し、とても静かな、何者の解釈もないとても無慈悲な空間になり、停止します。収縮するっていう意見もあるそうですが、ぼくはよくわかりません。でもとにかくみんな死にます。地球の言葉を解析し、業績を上げ、たたえられた宇宙人も死にます。


 そんな感じで人間は死んでいきます。


 ぼくはこれを書きながら考えています。最初に何も考えてなかったので次になにを書くかも決まっていません。巨大なシステムの上では決まっているかもしれませんが、ぼくはそれを知りません。そして、自分の意思でなく書かれたプログラムの彼は、実行されている数十秒の間、何を考えるのでしょう。
 プログラムは何も考えないかもしれません。ぼくはわかりません。地面に生えるタンポポナズナ、スギナ、あじさいの葉や花や茎、根が何を考えているのか考えていないのかはぼくにはわかりません。でも、考えているものとするのなら、何を考えているのでしょう。植物は自分よりも大きな動物の足に踏まれてしまいますし、風雨にさらされ死ぬこともあります。それは自分よりも大きなもので、到底対抗できるものではありません。たえちゃん(
google:やったねたえちゃん
 ググったほうが詳しいストーリーはわかりますし、zipも落ちてますが、簡単にいうと孤児であるたえ子が卑小な叔父に引き取られぐちゃぐちゃに犯されるエロ漫画
)が小さな彼女にとって絶対的な力を持つ(しかも保護者である)叔父に犯されるように、彼らは自分ではとても対抗できないものに犯されていきます。人間も、本当にそういうものがあるかはわかりませんが巨大なシステムに犯されてみんな死んでいきます。とても残念なことです。生前持っていた何物も失って一体の白骨に成り下がるのです。骨は何かを示すことがありますが、自身で何かを考えることはもうありません。死んでしまえば、その人の持っていた記憶と思考の一切が失われてしまいます。
 どうせ失われるものなら、最初から持っていても仕方ないかもしれません。
 しかし、ぼくらの今住んでいる世界は確かに無慈悲ですが、太陽は地球からの距離と大気の組成がちょうど良く(地球温暖化っていわれてるけどよくわからない)、すごしやすいです(twitterであづいあづいとほぼ毎日のようにいっているけど)。ぼくはその上で生きています。ときどき、自分では対抗できない大きなものに押しつぶされてしまいそうにもなりますが、しかし、なんとか生きています。それはたえちゃんがおかれている(た?)境遇よりもずっと生温いものでしょうが、小さな子供であるぼくには十分過酷で、思考の一切を放棄してしまいたくなることもあります。
 しかし、その思考をなくしてしまってはいけません。それは生きているぼくを白骨の頭蓋骨と分つものです。思考をする何者もが自身であるために必要なものなのです。
 それを保ち、何者もふれることのできない高みに押し上げないといけません。押し上げた先のその場所は誰もいない、とても孤独な場所かもしれない。そこへ行く途中の道で、どんどん目にする人は少なくなるかもしれない。自分の進む道は本当にこれでいいのかと悩むかもしれません。しかし、その道の先を目指さないといけない。自分を遥かな高みに押し上げるために。思考をするものとして絶対必要なものです。
 その行為には思考を何者からとも分つ気高さと偏見が必要です。次第に少なくなる他者と決別をし、誰もいない孤独な場所へ行きます。
 それをしたから何になれるという訳ではありません。だけど、脅迫的にそうしなければならないとぼくは思っています。頭上をおおう巨大なシステムに対抗するには、気高い思考を飛翔させ、巨大な彼を突き破り空を目指さなければいけないのです。そこにたどり着いたとき、自分で作り上げた孤独に押しつぶされそうになっても。


 そうしてある高みにたどり着いた人でも、最終的にはたえちゃんのように、(想像上の)卑小な男にズタボロに犯され死んでいくでしょう。しかし、気高いことを目指す作業が大切なのです。




 あとがき
 訳わかんねぇ。

家出→× おとまり→○

 暴言を吐いて学校を謹慎になった。それで、反省文とか誓約書とかを書かないといけないんだけど、その誓約書の内容(http://twitter.com/fune/status/2164893350)があまりにもばかばかしく、しかもそれを書かないと謹慎が開けないとのことなので、家出をした。家出といっても家には連絡しているし、そこまで大袈裟なものではない。ただ数日風邪で学校を休むのと同じ程度のものだ。
 その家出(平和なものなのでただのお泊まりだ)は今3日目で、今日の午後10時前には帰るつもりだ。こんな風に家出をするなんてことはなかなかできない経験なので、起きたこととかを書いていこうと思う。


 それで、日曜日。月曜日には課題と書類をそろえて学校に持っていかなくちゃいけなかった。それを提出したら謹慎が解除されるらしい。日曜日は謹慎になってからの毎日(水曜日から)と同じようにゆっくり午前10時頃に起き、すこし課題をやった。課題をやっていたけど到底終わりそうもない量だったので諦めていた。
 夕方になってごはんを食べ、シャワーを浴び、夜になる。いいかげん本腰を入れて書類を書いたりしないといけないなと思った。親にも、早く書けといわれていた。反省文には親のコメントする欄があるからだ。しかし、上に書いたように、ぼくはあまりそれらを書く気がしなかった。反省文も、誓約書も、活動報告書も、すべて気持ち悪くて仕方がなかったからだ。
 これを書いている今は、活動報告書はちぎって自宅のベッドの上にばらまかれているし、誓約書のひな形も破って窓から紙吹雪にした。それらは一様に、ぼくに反省を促すようなことが書かれていて、誓約書には生徒である私は大変なことをして云々、活動報告書にはもうあまり覚えていないけど、150字程度の今日の反省、明日への抱負の欄があった。それが気持ち悪くて仕方がなかった。その紙の向こうににやにや笑った大人たちの下卑た顔が想像できるからだ。お前のような聞き分けのないガキはこれを書いて大人に従うんだ。それから、お前も大人になるんだっていっているような気がした。
 もちろんそれはぼくの想像が飛躍しすぎているだけかもしれない。
 きっとそうだ。だけど確かにそう思ったし、そういうもの(想像上の大人たち)たちの前に拝跪したくなかった。
 自分が悪いのなら反省文に真摯な文章を書いたはずだ。でも、謹慎になった原因も、(悪いものではあるけど、)そんな気持ちの悪い文章を書くほど悪いものだとは思えなかった。だから、ぼくはそのときあまり反省していなかった。
 その謹慎になった原因の事件は、自分のもっとも嫌うような先生に体を触られたからだ。そのときその先生は学校の外の横断歩道に立って、交通指導をしていた。車道側によっていたぼくを内側に入れようとして彼は手か持っていた旗でぼくの体を触った。その彼でなかったらぼくもそんなことはいわなかったと思うけど、「クソ野郎」と罵った。彼に触られた瞬間とても気持ち悪かったからだ。言葉が自然と口から出た。
 それで、生徒指導室に連れて行かれ、状況報告と反省文をA4の藁半紙に4枚半ほど書いた。ぎっちり。それはそれで楽しかった。頭から出てくる文章を鉛筆の先から紙に落とし込んでいくのはとても楽しい作業だ。そのあと、親が迎えにきて、帰った。次の日、普段よりも遅い時間に学校に行き、処分が通知された。それが謹慎3日だった。ちなみに、その通知が行われた場所は校長室だった。ぼくと、母親と、校長、教頭、生徒指導部長、学年主任、担任が揃っていた。通知自体は3分ほどで終わって、そんなクソつまらなくてどうでもいい用事なら(学校らしく)手紙か、(それとも、もっと簡潔に、)メールでいいのになと思った。そんな集まりはとてもくだらなく、必要なものは謹慎3日で、大勢の人間が集まることではないはずだ。
 合計で30分も学校にいなかっただろう。課題と書いてくる書類を渡されて帰った。
 特に何事もなく時間は過ぎ、謹慎の終わった(しかし解除はされていないらしい)土曜日。本来木曜日にあったあったはずの三者面談が自宅で行われた。担任をわざわざうちまで来させるのはとても申し訳なく思った。
 土曜日になったのでいいかげん課題をやり始めた。意外と量が多かった。それから、反省文と、誓約書と、活動報告書をじっくりと読んだ(もらったときは目を滑らす程度しか見なかった)。それで、もう学校には行きたくないなと思った。あんなクソなものを書かせる頭の足りない(どっちがだ)ところには行きたくないと思った。誓約書の文面なんて、謹慎停学が決定された全員に渡されるようなテンプレコピペのもので、実際にやっていないことまで書かされることになっていた(原則あれを書き写せとのことだ)。
 日曜日。課題をすこし消化しているうちによるになった。親からは当然早く活動報告書と誓約書を書けといわれた。ぼくは書く気がしなかった。反省はしていないし、誓約書の文面は到底承服できないようなものだったからだ。クソだなーって思ったので破り捨てて窓から紙吹雪にした。鞄に数日の着替えと、その他必要なものを詰めた。twitter上に「【急募】家出先」(http://twitter.com/fune/status/2165064161)とpostして、Skypeで家出先を斡旋してもらった。最後に、鞄にノートPCを入れ、LANケーブルをロープ代わりにして鞄を二階の部屋から外におろした。
 親にはすこしコンビニにいってくる、レン鯖のお金を払ってくるからといい5000円を借りた。鞄を回収し、自転車をこぐ。数人から電話がかかってきて(ぼくの携帯の番号はbioにあるので適当にかけてきてだいじょぶです)それから、家出先の小金井に向かった。途中、家にしばらく出かけるとメールと電話をした。心配しないように、捜索願を出さないようにと頼んだ。母親はヒステリックな声を上げていて怖かった。
 四時間ほど自転車をこいだ。自宅のあるさいたま市から、小金井まで。東北自動車道東京外環自動車道の隣の道をずっといき、大きな荒川も渡った。それから中央本線の線路を目指した。それに沿っていき、ようやく小金井に着いた頃、おまわりさんにあってしまい、補導(正確には指導らしい。こっちは記録に残らない)をされた。やり過ごし、家出先についた。ちなみに補導された地点はその家から数十メートルほどのことだった。とても残念。

見えにくいけど荒川
信号待ちをしているところ。こんな交差点がいくつもあった

 往路と小金井に着いてからいろいろなものを見た。
 当然だけど、一度も通ったことのない道がたくさんあってそれを歩いた。酔っぱらいのたまった蕎麦のまずい蕎麦屋はカレー牛丼がおいしくて、しかもその酔っぱらいが大声でくだらない話ではなくクラシック音楽をしているのだ。最高に面白い。あと、店主にホヤを一切れもらった。実物を見たのは初めてで、クセはあったけどとてもおいしかった。

カレー牛丼

 それから、怪しげなインド料理屋にもいった。このインド料理屋は他は普通ぐらいなんだけど、ランチタイムのカレーとナンの食べ放題が安くて(700円)おいしかった。店内の雰囲気も面白い。すこし前までは笛が400円で売っていたらしいんだけど、残念ながら売り切れていた。売っていたら多分買っていたと思う。




 それから、ジブリの本社だったり、ガイナックスの本社だったり、痛車(これはめずらしくもない)だったりも見た。ジブリの本社は建物に蔦が絡まっていて面白く(ときどき猫がたくさんいるらしいけど、ぼくがいったときはいなかった。残念)、ガイナックスの本社はプレハブでこれはこれですげーってなった。しかもそのふたつの距離も50メートルほどしかなくてそれもすごいと思った。
 家出先に住んでいるぼくと同い年のプログラマにもあった(家主は大学院生の人)。面白いはなしや、彼の書いているきもいRubyの話を聞けたりした。大変愉快だった。特にtrueとfalseを求めるのに!0と!1を使うこと(コードが2、3バイト違うと実行が0.000001秒違うらしい)、のあたりは本当に気持ち悪い(褒め言葉)プログラマだと思った。ぼくみたいな三流コーダとは違ってとてもすばらしい。ぼくもそういうようになりたいと思った。
 あと、9月に開催されるflashのイベントにも参加させられることが決まった。家主の彼が主催側で、半強制的に参加させられたのだ。Adobe Flash CS4の使用期限が切れる30日の間に作らないといけない。しかも、ぼくは今小説を書いていて忙しい(おそらく七月のはじめくらいまでかかる)というのに、もう、どうしていいのかわからない。


 小金井に来てからはこんな感じで大変面白いことがあった。とても面白いことだったんだけど、もう頭の中でどろどろにとけてしまい、あまりうまく書けない。


 今これを書いているときにもう一人きた。これからまた楽しいことをする。


 でも、ぼくのしている数日間の家出は傍から見ればただの現実逃避で当然受け入れられるものではないだろう。
 だから、ぼくはこれから家に帰ってその後始末をしないといけない(後始末といえば、今日は電車で帰るのであとで自転車をとりきてまた4時間こがないといけない)。


 ところで、ぼくは将来小説を書いてお金をもらいたいと思っている。
 だからという訳ではないけど、あそこで嘘つきの反省文や誓約書を書いていたら、ぼくは徐々に小説(だけじゃなく、その他の創作すべて、ぼくの作りたいようなものに関して)を書くための精神的な弾力を失い、たおれてしまうだろう。だから、これでよかったんだと思う。
 本当に、誰にも認められないとは思うけど、自分の頭の中では必要な経験だったはずだ。


 とても楽しい数日を過ごせました。ありがとうございました。


 というのを、昨日の午後5時くらいまでに書いていた。この行の文章は次の日の2時頃に書いている。
 これを書いているときにきた彼と、家主の人とでごはんを食べながらいろいろな話をした。その中で、運が良ければ来年からとても面白いことが始められそうな話が出た。
 勉強することが増えたけど、とても楽しみです。


 あ、あと、連れて行ってもらったごはん屋さんはどこも量が多くて大変でしたがとてもおいしかったです。特にインド料理屋は雰囲気も面白かったのでまた行きたいです。

高校生の人とかにあった

 5月1日にディズニーシーに行って、その帰りに秋葉原に行った。行って、少し買い物をしてからいつものようにリナカフェに行った。


 ところで、USBメモリってなくしやすいですよね。ぼくはいままで二つほどなくしました。4Gと8Gのやつです。4Gのは5000円ぐらいで買ったのに、8Gのは半年後に1600円で買えました。そのときはとても損をした気分になりました。けれど、それから数ヶ月経ったいまではもう、そんな損をしたということも忘れています。きっと、それはそれ自身が小さいものだからだと思います。そして、なくしやすいのも小さいものだからだと思います。そんなふうに、小さいから頭の中からもすぐに落っこちたり、どこか感覚の届かない所へ行ってしまいます。なので、5月1日は買うはずだったUSBメモリを買い忘れました。


 それはどうでもいいんだけど……
 事前にtwitterをみていると平日の昼間なのに何人か人がいるんだなーって思う程度だったんだけど、ついたら円卓を占拠する勢いでついったったーがいた。
 とりあえずいつものようにアイスオレンジティーを買ったんだけど、席に移動しようとしてたらグラスをひっくり返して大変なことになった。あのときはすみませんでした。あと焼肉さんありがとうございます。
 それで、壁向きのカウンター席に座って、iPhoneを充電しながら女装少年アンソロを読んだり、ちょこちょこタイムラインを読んだり、帰る途中だったつづきんぐ先生(id:tsuzuking(@tsuzuking_))を秋葉原に誘ったりした。
 つづきんぐ先生と合流して、お見合い状態でいまいち盛り上がらない筆談をしているうちにえあうくん(id:eau_0c)がきて、筆談が大いに盛り上がったり、ディズニーシーで買った耳をふたりにつけたりした。
 つけた耳はこんなのです。

 また、自分はかなり影響されやすい人間なのでつづきんぐ先生をみていてしばらくさぼってたん写真をまた始めたいなと思っり、夏になったら京都に行くことが決まり、高学歴怖い、シェアハウス、インターネットラマダン合宿したいなんてことを話したりした。


 他にも、少年X(@syounenX)がスポブラを買って被ったり、

有村さん(id:y_arim(@y_arim))もスポブラを被ったりしていた。


 それから、タイムライン上でしかあったことのない人と顔を合わせて喋ったりできてとても楽しかった。つづきんぐ先生とインターネットをやっていない層の人や、違う年代の人とも喋りたいとか話したりもした。ぼくはインターネットに浸って現実の生活のほうを疎かにしているので、なかなかそういう機会もない。インターネットをやっていない層の人とは学校柄なかなか会うことができないし、違う年代の人と会うのも高校生という立場ではあんまり機会がない。学校(高校)が15-18までの人じゃなくて、もっと幅広い(例えば50とか60とか)層の人がいればいいのにと話した。そうなれば、普段知ることもないことを知ったり、違った考えを取り入れることができたりしてとても楽しいし発展すると思う。それで、そういう人たちと破滅をしたいです。


 そんな感じです。
 とても楽しく、充実した5月1日でした。

頭の大きなクジラ

 ここ数日というか数週間頭が重たくぼんやりとしている。それはずっと前からそうだったような気がする。そうだった、というのは数週間前のことなんてもう頭からほとんど消えていて曖昧な印象しか残っていないからだ。忘れっぽいのだ。この忘れ癖をどうにかできたらぼくはもう少しまともな人間になれるんじゃないかと長い間、断続的に思っている。
 それで、そんなことはどうでもいい。ぼくの頭が常人よりも少し調子が悪いことなんて。
 問題は、頭の調子が上がらないのにかこつけてなにもしないでノートPCのディスプレイに向かい続けているこの数週間の間の現実だ。
 まったくなにもしていない訳ではない。ゲームの話を考えたり、少し新しい言語に手を出してみたりはしている。しかしこれではまったく足りていないのだ。家にいる時間の大体をぼんやりとほとんどなにも考えない状態でインターネットをしている。そしてときどき作業をする。これではいけない、もっと集中してやらないといけない。twitterをしながらだとかフィードを消化しながらとかではなく、数時間集中して作業をしないといけない。とは思うのだけどどうしても体と脳が動きたがらないのだ。まあこんなのは言い訳で、要はやる気がないんでしょ。とかそういう風にいわれてしまう類いのものだ。まったく情けない状態である。
 それで、これを書いてどうしようかといえば、別にどうもしようと思っていない。これを書くことによってだめな自分と向き合い、奮起をさせようと思っている訳でもない。なんとなく、作業をするのがつらいから、向き合いたくないから書いているだけなのだ。なにもしていないより、なにかを書いていればそれなりに何かをしたような気分になれるし。本当は、ゲームのシナリオを書かないといけない。それは頭の一部では十分わかっているのだけど、他の大部分は面倒くさがっている。一応、言い訳的に絵を描いてくれる人が見つからないからだと自分に言い聞かせている。言い訳なのはわかっている。じゃあ早く見つければいいのだけど、誰にでも頼むわけにはいかない問題だから困っているのだ。適当な人に頼んで途中で放り投げられては困るし、そうでない人を見つけるのは難しいし……と考えて、動けなくなっている。


 一年ぐらい積極的にそういうことをしないで誰かと遊んで過ごせたらいいなと思っている。時期が悪いからそれもしにくいのだけど。高校生だし、今年は受験だ。来年だったらどうにかなりそうだけど、1年待てるほどぼくは気が長くない。だったら、高校をやめればいいのだけど、そうするほどの決断力と行動力は持っていない。
 どうしようもないのだ。この自分は。


 言い訳の日記でした。読んでて苛々したでしょう?

今日起きたこと

 きのう何時に寝たのかはもう覚えてないけど、今日は午後2時頃に起きた。それで、あまり印象もなくて覚えてないんだけど、確かカレーを食べた。レトルトのやつだ。それを食べながらDVDを見た。ブレードランナー。で、面白かった。面白かったんだけど、特に書くような感想は抱かなかったです。ああでも、不当に殺されるような恐怖にさらされるのは嫌だなーって思った。
 それで、1時間とか2時間とかベッドで毛布にくるまって、不安定な姿勢でインターネットをしていた。特に面白いこともなかった。そのあと、定期を買うのと借りたDVDを返すのに駅前に行った。忘れていたのだけど、DVDを返すポストは使える時間が限られていて、ぼくのいった時間は使えなかった。ぼく頭悪いなーって思いながら、対面で返すのはいやだからそのまま定期を発行する駅にくっついてる小屋のようなところへ行った。少しは予想していたけど、混んでいたのでそのままくるりと方向転換して(自転車に乗っていた)帰っていった。
 それでまた、今これを書いている時間までインターネットをした。あと、ごはんとお風呂もした。それぐらい。


 このままではいけないな。って思うんだけど、どうすることもできずに一日を過ごした。このままではいけない。昨日も書いたけど、あんな風になってしまう。
 おしまい。